インターネットという世界への参加や発言やに関して「実名・匿名」論争が今でも熱く語られています。僕もこっそり参戦。こっそりね(笑)
- J-CASTニュース : 弁護士の小倉秀夫氏に聞く ネットでの誹謗中傷問題(中):実名を使うのが基本 それがネットをよくしていく
- 痛いニュース(ノ∀`):「『ネットでは、実名を使うのが基本』となる制度を。それがネットをよくしていく」 弁護士の小倉秀夫氏
上記リンク先を見るとそれぞれの主張が分かるかもしれません。下記のリンクでも興味深い議論が広がっています。
僕は現在の時点では、匿名擁護派です。
「新しい酒は新しい革袋に」という言葉があるように、インターネットという新しい世界にも新しいルールが必要と感じています。そういった意味では、現行の法律とからめて議論するのには反対です。小倉さん却下(笑)
そして新しいルールを考える前に、柄谷行人著『批評とポスト・モダン』収録の「無作為の権力」から引用。
イギリスには憲法がなく、これまでの法律と判例の累積があるだけだという。これはわらわれには想像しにくい世界である。われわれは憲法が公理系の如きものとしてあって、そこからすべての定理(法律)が演繹され解釈モデル(判例)が考えられるかのような思考になれているからだ。
(中略)
これは明らかにアメリカまたは大陸型の思考であって、イギリスで歴史的に累積されている網目状の法体系においては「人類の普遍の原理」などはありえない。「国民主権」は、貴族の権利制限(国王とブルジョアジーの結託)、国王の権利制限(ブルジョアジーの勝利)という歴史的過程によって形成されてきたのであって、それは哲学者が説くような「原理」ではない。
「人類の普遍の原理」(例えば「インターネット憲法」のようなもの)は国境を越えたインターネットの世界では存在しません。そうならば、「人類(インターネット)の普遍の原理」ってのはお題目としてさえもありえない。技術的にさえ。そこでは性善説とか性悪説といったくだらない前提や、そもそもありもしない「原理から導きだされるルール」さえも存在しない。
おお、何だか偉そうな事書いてるぞ。頭の中は混乱してるんだけれど(笑)
インターネットの様々なサービスを利用する上で、ローカルルールというのは現実に存在します。それらを守らなければそこで生きて行く事は事実上不可能です。現在多くのインターネットに繋がって活動している方々は(僕も含めてね)、これらのローカルルールを厳守して行動しています。ローカルルールはその国々の法律や県や地方自治体の条例、そしてプロバイダーやWebサービス提供者、また個々人が管理するWebサイトまで様々。ただし、これらのルールは先に引用した様にヒエラルキーの構造を持っている。例えばサイト管理者が「個別ページへのリンクを禁止」などとローカルルールを決めても、それは日本の法律では引用という形で認められている。逆に引用先を明記しないと法律違反。
その場所ではそうしなきゃいけないけれど(その場所に存在する事ができないしね)、別の場所ではそれらのルールは通用しない。「個別ページへのリンクを禁止」というのは他サイトでリンクされる訳ですから、その時点で意味のないルール。ルールのヒエラルキーさえも、根本的な場所を変えれば変わってくる。サービスの提供サーバーを日本外に移しちゃえば、別のヒエラルキーで再構築されるわけです。
僕が思うにインターネットの世界にはルールはありえない。倫理はあるだろうけれど。いや、あって欲しいし実際にあると思う。それがインターネットなんだろうな。
追記:読み返してみると主題の「実名・匿名」結論が明確じゃないな。言いたい事は「実名・匿名」という議論自体が意味がないという事。「実名・匿名」は僕らが決める事で、誰かが押し付けるものではないと思う。
コメント(7)
コメントを書く
トラックバック(0)(クリック▼)
トラックバックURL
最近のエントリー
月別アーカイブ
- 2008年9月 [3]
- 2008年8月 [8]
- 2008年7月 [10]
- 2008年6月 [17]
- 2008年5月 [5]
- 2008年4月 [25]
- 2008年3月 [35]
- 2008年2月 [34]
- 2008年1月 [28]
- 2007年12月 [28]
- 2007年11月 [23]
- 2007年10月 [11]
- 2007年9月 [9]
- 2007年8月 [6]
- 2007年7月 [35]
- 2007年6月 [9]
- 2007年5月 [47]
- 2007年4月 [34]
- 2007年3月 [10]
- 2007年2月 [25]
- 2007年1月 [32]
- 2006年12月 [27]
- 2006年11月 [23]
- 2006年10月 [24]
- 2006年9月 [23]
- 2006年8月 [26]
- 2006年7月 [27]
- 2006年6月 [30]
- 2006年5月 [20]
- 2006年4月 [20]
- 2006年3月 [28]
- 2006年2月 [12]
- 2006年1月 [19]
- 2005年12月 [26]
- 2005年11月 [17]
- 2005年10月 [17]
- 2005年9月 [27]
- 2005年8月 [29]
- 2005年7月 [29]
- 2005年6月 [33]
- 2005年5月 [16]
- 2005年4月 [37]
- 2005年3月 [25]
- 2005年2月 [29]
- 2005年1月 [24]
- 2004年12月 [20]
- 2004年11月 [15]
- 2004年10月 [24]
- 2004年9月 [11]
- 2004年8月 [21]
- 2004年7月 [21]
- 2004年6月 [25]
- 2004年5月 [26]
- 2004年4月 [24]
- 2004年3月 [25]
- 2004年2月 [5]
- 2004年1月 [24]

リンクの根拠となる日本の法律ってなんだろう?
引用ということは著作権法?
著作権法ですよね。
リンクの根拠を著作権法に求めるとすると、
リンク元が常に著作物でなければならないので、
自由が損なわれるんじゃないかなあ、と思いました。
もしかしたらsasahiraさんとどこかですれ違い?
誰かが公開した文章や写真などは著作物で、ベルヌ条約加盟国においてはそれらの著作物はその時点で著作権法で守られていますよね。そのページへのリンクは当然引用元の明示ですから、逆に明示しなければ引用者は著作権違反。間違ってます?
うーん、リンクが引用であると仮定するなら、
引用元の明示は必須になるのですが。
その場合、引用元の明示以外にも
引用が成立するための諸条件を
満たさなければならないわけで。
…ここまで書いてすれちがいの原因がわかった!
101さんが本文で主張されていることは、
「引用元の明示のために、個別ページにリンクすること」
ですよね?
引用とは無関係に、リンク自体の自由のことだと
読み違えてました。失礼しました。
# cite要素かcite属性に入れとけば、
# リンクしなくてもOK派ではありますが。
>リンクが引用であると仮定するなら
ぐふふふふ。よかった。何となく話のすれ違いの原因が見えました :-)
sasahiraさんの最初のコメントの視点ですが、タイトルが著作物であるかどうかを含めていくつか判例は出てはいるけれど、おっしゃるとおり微妙な問題みたいですね。
「 cite要素かcite属性に入れとけば、リンクしなくてもOK派」
僕もOK派。訪問者への配慮と、html書くの面倒なので(笑)サイト先にリンク貼る事が多いけれど。
>「引用元の明示のために、個別ページにリンクすること」
はい。汲み取っていただいて感謝。
しかし自分の文章構成力の無さを実感するなあ。反省。
たまには一緒に飲みましょうよ ;-)